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その定義を決めずに議論してもしょうがないんでは?
たとえば、人間を検知したら愛していますと音声を流す、なら別に今すぐにでもできるでしょう。 好きと記録した人間が近づいたら処理モードを喜びに変えることもできるでしょう。 でもそれって、人間が近づいてきたら照明を付けるのと何が違うのと?
逆に、長い間使われていない機械が久しぶりに電気を入れられて調子が悪いだけで、こいつ拗ねてるな? 特定の人が操作するときだけ上手くいくのは、こいつ誰々が好きなのか? と思うこともできます。
どちらが「愛」らしいかと言われたら、私は後者のほうに愛を感じます。 人間の解釈しだいということです。 だから、「愛する」ことができるか?なんて「愛」を定めずに議論しても仕方が無いでしょう。
# あと、20年もすれば、「私はAさんよりもBさんに使ってほしいんだけど・・・」という自己判断をするAIは出てきそうな気がします。それ「愛」と呼ぶかはさておき。
>どれほど高性能・高機能であろうとも、>生物学的反応を生じ得ない機械に宿るものは
今現在はそれでよいけれども、では「機械的(電子的)に、脳内の電気的・化学的プロセスを完全に模倣できる素子」であったらどうなのか?というと、そこに生まれるのは人間と同じものな気がする。そうなるともう「生物学的反応と等価な反応を示す素子」になるわけだから。「人間の脳と違う原理で動く何かに意識/感情は生まれるか?」となると(何を意識/感情と定義するか、そしてそれを外部から判断できるのか?という面で)非常に難しいけど、完全に人間をエミュレートできる機構であれば、それはもう人間と同じものを生み出すよね、と。
そうすると難しくなってくるのが、「"ある程度"神経系などを模倣できる素子」というグレーゾーンの場合。人間に極限まで近づけた側ではきっと人間と同じに扱えるのは予想できるけど、そこからだんだん外していった際にどうなるかってのは面白そう。
まさしくそういうことが問題なんだと思います。
「愛とは脳の中で起こるプロセスである」と言ったところで、現状では、具体的に脳のどこでどういう信号が流れることが愛なのか、ということは明らかにされていません。それでも、脳を全体としてとらえて、脳細胞の数やシナプスの結合様式をエミュレートすることができるようになるでしょうし、そうすれば、なぜか愛や感情がそこから生じるのだということになるかもしれません。しかし、これでは、脳のどの部分にどういう信号が流れることが愛なのか、ということは分かったことになりません。
でもやがて、脳のどこにどういう信号が流れることが愛や感情なのか、ということが明らかになる日がやってくると思います。そうすると、それをエミュレートしたものは愛や感情そのものだと言うより他なくなってしまいます。むしろ、人間よりも純粋な愛といえるかもしれません。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
そもそも「愛」とは何ぞや? (スコア:3, すばらしい洞察)
その定義を決めずに議論してもしょうがないんでは?
たとえば、人間を検知したら愛していますと音声を流す、なら別に今すぐにでもできるでしょう。
好きと記録した人間が近づいたら処理モードを喜びに変えることもできるでしょう。
でもそれって、人間が近づいてきたら照明を付けるのと何が違うのと?
逆に、長い間使われていない機械が久しぶりに電気を入れられて調子が悪いだけで、こいつ拗ねてるな?
特定の人が操作するときだけ上手くいくのは、こいつ誰々が好きなのか?
と思うこともできます。
どちらが「愛」らしいかと言われたら、私は後者のほうに愛を感じます。 人間の解釈しだいということです。
だから、「愛する」ことができるか?なんて「愛」を定めずに議論しても仕方が無いでしょう。
# あと、20年もすれば、「私はAさんよりもBさんに使ってほしいんだけど・・・」という自己判断をするAIは出てきそうな気がします。それ「愛」と呼ぶかはさておき。
Re: (スコア:0)
明確に定義付けできるものかどうかは知りませんが、
それは脳という器官の中で生じる生物学的な反応に由来するモノだと思うのです。
であるならば、どれほど高性能・高機能であろうとも、
生物学的反応を生じ得ない機械に宿るものは
似て非なるモノでしか有り得ないのではないでしょうか。
予断ながら、この記事を読んだとき私が思いついたのは、
京極夏彦の「魍魎の匣」における京極堂のセリフ、
「機械に繋がれた脳が生み出すのは機械の意識だ」でした。
Re:そもそも「愛」とは何ぞや? (スコア:2, すばらしい洞察)
>どれほど高性能・高機能であろうとも、
>生物学的反応を生じ得ない機械に宿るものは
今現在はそれでよいけれども、では「機械的(電子的)に、脳内の電気的・化学的プロセスを完全に模倣できる素子」であったらどうなのか?というと、そこに生まれるのは人間と同じものな気がする。そうなるともう「生物学的反応と等価な反応を示す素子」になるわけだから。
「人間の脳と違う原理で動く何かに意識/感情は生まれるか?」となると(何を意識/感情と定義するか、そしてそれを外部から判断できるのか?という面で)非常に難しいけど、完全に人間をエミュレートできる機構であれば、それはもう人間と同じものを生み出すよね、と。
そうすると難しくなってくるのが、「"ある程度"神経系などを模倣できる素子」というグレーゾーンの場合。人間に極限まで近づけた側ではきっと人間と同じに扱えるのは予想できるけど、そこからだんだん外していった際にどうなるかってのは面白そう。
Re:そもそも「愛」とは何ぞや? (スコア:3, 興味深い)
狂気の愛を超えた、妖怪的に歪んだ愛。
Re: (スコア:0)
まさしくそういうことが問題なんだと思います。
「愛とは脳の中で起こるプロセスである」と言ったところで、現状では、具体的に
脳のどこでどういう信号が流れることが愛なのか、ということは明らかにされていません。
それでも、脳を全体としてとらえて、脳細胞の数やシナプスの結合様式をエミュレート
することができるようになるでしょうし、そうすれば、なぜか愛や感情がそこから
生じるのだということになるかもしれません。しかし、これでは、脳のどの部分に
どういう信号が流れることが愛なのか、ということは分かったことになりません。
でもやがて、脳のどこにどういう信号が流れることが愛や感情なのか、ということが
明らかになる日がやってくると思います。そうすると、それをエミュレートしたものは
愛や感情そのものだと言うより他なくなってしまいます。むしろ、人間よりも純粋な愛
といえるかもしれません。
Re:そもそも「愛」とは何ぞや? (スコア:0)
十分なレベルで模倣していると認められるかというハードルが
あるような気がします。
いまだにデジタル音源を認められないオーディオマニアが
いるように。アナログだって生音源の模倣にすぎないのにね。
Re: (スコア:0)