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根本的に現在の忍術のイメージは明治以降のもの。江戸時代背後や相手の隙をつくのがメインの”忍術”は武士道に反するとして表の世界からは消えた。”忍者”と呼ばれていた人々は武士として幕府や各藩に普通に仕官するか帰農して刀を捨てた。断片的な技術が継承されているかもしれないが職業としての”忍者”は消滅した。それが明治になって”消滅した”ところからいろいろな想像力が働いて伝説化しただけ。一般に流布している”忍者”のイメージはほぼ100%明治の講談作者の想像の産物。伊賀の地は飛鳥時代大君天皇家の領地で数少ない直属の手勢が住んでいた。この時代の朝廷内の暗闘で活躍したと見られるがはっきりとした物証がない。しかし状況証拠からほぼ間違いないとする見方が広まりつつある。国の形が固まり東大寺ができると伊賀の土地と民は天皇家から東大寺に寄進された。平安以降は東大寺の力が衰え伊賀は実質郷士らの自治領となったが、郷士間の紛争が絶えなかった。時代が移って室町時代に天皇家が関わる紛争が起こると伊賀忍者が歴史上初めてその戦闘力を衆目に晒し一般にその強烈な印象を焼き付けることになる。
時代が移って室町時代に天皇家が関わる紛争が起こると伊賀忍者が歴史上初めてその戦闘力を衆目に晒し一般にその強烈な印象を焼き付けることになる。
室町時代に天皇家が関わった紛争って南北朝の争いのことですか? そんな伊賀が有名でしたっけ?それ以外で室町時代の間に天皇家が関わった(戦闘行為を伴う)紛争を知らないもので。
>一般に流布している”忍者”のイメージはほぼ100%明治の講談作者の想像の産物。
簡単に言うと山田風太郎のせいということですね分かります。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
根本的に (スコア:0)
根本的に現在の忍術のイメージは明治以降のもの。
江戸時代背後や相手の隙をつくのがメインの”忍術”は武士道に反するとして表の世界からは消えた。
”忍者”と呼ばれていた人々は武士として幕府や各藩に普通に仕官するか帰農して刀を捨てた。
断片的な技術が継承されているかもしれないが職業としての”忍者”は消滅した。
それが明治になって”消滅した”ところからいろいろな想像力が働いて伝説化しただけ。
一般に流布している”忍者”のイメージはほぼ100%明治の講談作者の想像の産物。
伊賀の地は飛鳥時代大君天皇家の領地で数少ない直属の手勢が住んでいた。
この時代の朝廷内の暗闘で活躍したと見られるがはっきりとした物証がない。
しかし状況証拠からほぼ間違いないとする見方が広まりつつある。
国の形が固まり東大寺ができると伊賀の土地と民は天皇家から東大寺に寄進された。
平安以降は東大寺の力が衰え伊賀は実質郷士らの自治領となったが、郷士間の紛争が絶えなかった。
時代が移って室町時代に天皇家が関わる紛争が起こると伊賀忍者が歴史上初めてその戦闘力を衆目に晒し一般にその強烈な印象を焼き付けることになる。
Re:根本的に (スコア:1)
時代が移って室町時代に天皇家が関わる紛争が起こると伊賀忍者が歴史上初めてその戦闘力を衆目に晒し一般にその強烈な印象を焼き付けることになる。
室町時代に天皇家が関わった紛争って南北朝の争いのことですか? そんな伊賀が有名でしたっけ?
それ以外で室町時代の間に天皇家が関わった(戦闘行為を伴う)紛争を知らないもので。
Re: (スコア:0)
>一般に流布している”忍者”のイメージはほぼ100%明治の講談作者の想像の産物。
簡単に言うと山田風太郎のせいということですね分かります。