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ブロックチェーンをベースにした新興宗教が誕生」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward on 2018年06月05日 16時55分 (#3419858)

    多数決で決まる経典って、それは科学と呼ぶんじゃないかと。
    努力すれば、という条件付きですが、全ての人が理解できるものが科学で、特定の人にしか見えない、理解できないものが芸術とか宗教だと思ってた。

    • by Anonymous Coward on 2018年06月05日 17時43分 (#3419891)

      科学が多数決で決まるなら、天動説は正しくてガリレオは火あぶりが科学的態度だってことになる。

      親コメント
    • by Anonymous Coward

      検証可能なものが科学で、不可能なものは哲学だよ。

      だから、宇宙論の一部はいまだ哲学のまま。
      宗教も検証不可能であるうちは哲学のまま。

      まぁ、おおざっぱな分け方だけどね…。

      • by Anonymous Coward

        だから数学は科学によく使われる道具だが科学そのものではない

      • by Anonymous Coward

        「検証可能」は大事な一要素だけど、必ずしも満たすべき条件ではなく、必須なのは「蓋然性」ですよ。
        おおむねその話で問題ないなら、ひとまずそれを土台に前に進む、というものです。

        んで蓋然性は「その道の専門家ならだいたい納得してくれる」であって、「万人が(がんばれば)理解できる」ではありません。
        政治でも科学でも宗教でも同様なんですけど、高度な話はその土俵まで上がれるだけの能力と蓄積あってこそであり、万人(もしくは平均的なヒト)を基準にしちゃだめです。
        専門家がポカしないっつってるんじゃないですよ。
        専門家レベルになれるのが全人類の中の一握りしかいないって分野もある、ってだけのお話。

        • by Ryo.F (3896) on 2018年06月06日 13時54分 (#3420415) 日記

          「検証可能」は大事な一要素だけど、必ずしも満たすべき条件ではなく、必須なのは「蓋然性」ですよ。
          おおむねその話で問題ないなら、ひとまずそれを土台に前に進む、というものです。

          その場合、科学、宗教および哲学を分けるものは何ですか?

          親コメント
          • by Anonymous Coward

            宗教に関していえば、中心となる教義(ドグマ)があり、それに関する検証性および蓋然性を必要としないところでしょうか。
            (追求「しなくてもいい」のであって禁止しているとは限らないが)

            科学の方は(個人レベルではドグマに囚われるのもアリだと思ってますが全体としては)中心教義であろうと蓋然性を問われることになる、かと。
            #んで人間原理あたりで棚に上げる。

            哲学の方は、私が不勉強でちょっと線引きは語れません。
            強いて言えば、宗教や科学を含むより大きな概念で(科学は哲学に含まれるごく一部で)、測定や記録されない部分も含めて”思考可能”であることのみを頼りに進むもの、かなぁ。

            • by Ryo.F (3896) on 2018年06月06日 19時49分 (#3420616) 日記

              概ね納得できる説明です。

              が、であれば、#3420276 [srad.jp]の説明は、不適切と言うか、不親切じゃないですかね。
              科学と宗教(および哲学)の違いが問題になっている文脈で、検証可能性はまさに指摘すべき違いである、と述べるべきでは。

              親コメント
              • by Anonymous Coward

                誠におっしゃるとおりで、私の不徳、不手際です。
                「検証可能なものが科学」に一言言いた過ぎて視野狭窄に陥っておりました。
                ご指摘感謝です。

        • by Anonymous Coward

          その理屈だと「科学者が納得する」基準が明らかでないし、専門家(と狂人)と素人を区別する基準も必要になってくる

          科学とそうでないものを分かつものは何か→蓋然性である→蓋然性とは何か→科学者の納得である→科学者は何に納得するか→蓋然性である(ループ突入)

          であって、実は宗教だって自称専門家は納得している(理由は「教祖がそう言っているから」だったりするが)

          あと、科学的観測において観測された現象に見られる「蓋然性」と、科学者集団の社会学的現象(多数の納得?)に見られる「蓋然性」は区別しないと話が混乱すると思う

          • by Anonymous Coward

            ここは私の書き方があまりに悪かったです。
            「蓋然性の定義とは、科学者が納得すること」というつもりではなかったんです。
            あえて書き直すなら「蓋然性は万人がそれぞれ判断するものではなく、専門家がその専門性をもって判断するもの」くらいの意味です。

            蓋然性の定義の話をするなら…
            蓋然性とは検証可能性や証拠の有無(強さ)、論理的な矛盾のなさなどを考慮した「そうである可能性の高さ」、といったところでしょうか。

            言いたかったことは2つ。
            検証可能性を必須としたり、確実な動かぬ証拠が必要とか言ったとたん、科学のかなりの部分はあやふやになっちゃうということ。
            「もっともらしさ」「確実さ」を万人が”がんばれば”理解できる、というほど専門分野はやさしくない、ということ。
            (後者は別に科学に限らないですね。宗教だって同様)

            #宇宙論を「検証可能性ないから科学じゃない」って言ってくる奴の相手はめんどい、と言い換えても(よくない

            • by Anonymous Coward

              専門家になることはやさしいこと、とは考えていませんが、それは専門家が新しいことを発見する人だからであって、
              既に発見された物については、万人(平均的な人間)でも”がんばれば”理解できると思います。

            • by Anonymous Coward

              どうかなあ 安易な解決法としては、そのような検証可能性あるいは反証可能性を欠いたものについては「未科学」というカテゴリーを与えてやればいいだけの話であって、あとは「未科学」についての個々人の態度を問題にすればいいんじゃないかと思うんだよね ある人は夢物語だと思うだろうし別の人間は意義を認めるだろう

              あるいは、科学の範囲を「反証が可能だとするとそれはどのようにすれば可能か、が検討できる」とまで範囲を広げる変則的なポパー主義を取れば(これは現役の研究者の賛同を得られると思う 彼らは検証だけでなく、検証方法の開発にも頭を悩ましているのだから)

              >

              • by Anonymous Coward

                元コメとは別人です。
                例えば量子力学の成立過程について、いつ未科学から科学に変わったと思いますか?
                反証可能性という意味では、量子力学は相対論と矛盾しているため、量子力学は科学では無いと思いますか?
                また観測技術が不完全である以上、大統一理論のようなものができたとしても、反証可能性は永久に残ります。

                蓋然性というと、すごく曖昧に聞こえますが、査読付きの論文を発表した時点で、ある程度の確からしさがあり、
                さらに発表後に、何度も検証され、論文の引用回数のような形で、「そうである可能性が高く」なっていきます。
                突然、素晴らしい理論が作られ、みんなが一瞬にして納得するわけではなく、
                科学とは徐々に合意形成されていく行為全体を表しているのではないでしょうか?
                我々が神でない以上、何が科学で、何が科学でないか、という境界はどうしても曖昧なものとなってしまうと思います。

    • by Anonymous Coward

      法学は科学じゃないだろう。

      # 故に九条教と呼ばれる。

      • by Anonymous Coward

        法学者全員が九条教というわけでもないのでは…。
        むしろ、元々はより良い社会システムの実現の為の道具である法律の内、日本国憲法(と特定の解釈)の維持が自己目的化してしまった一派の事を、比喩と風刺(と言うより揶揄?)を込めて「九条教」と呼んでいる人もいると言う事なんじゃないかな…。

        # 世の中には、キリスト教のクエーカー教派の様に、他人の揶揄がそのまま(本人達含めて)正式名称になったケースもあるらしい…

      • by Anonymous Coward

        教祖は石原莞爾
        帝国陸軍随一の戦略家が戦後憲法9条を武器とせよと言ってたことはあまり知られてない
        最終戦争論の延長線できちんとした理論的背景もあるんだけど…
        国柱会系の国粋主義や大アジア主義ときちんとした整合性もあるんだが…
        むしろ9条排除論は親米派CIAの謀略臭しかしないんだが…

    • by Anonymous Coward
      幸福の科学はすべての人が理解できるのだろうか。
      いや、そもそも科学じゃないし…
    • by Anonymous Coward

      ほとんどの人が「死にたくない」と思ってるのに死ぬのはどういう多数決科学ですか?

    • by Anonymous Coward

      多数派が入れ替わった瞬間にいきなり物理法則が変わる世界
      SFのネタに使える?

      • by Anonymous Coward

        クーン主義、いわゆる「パラダイム論」をうんと戯画化するとそういう話になりますが
        支持者(信者?)が未だに結構います

      • by Anonymous Coward

        円城塔案件か。
        まあ、彼だったらもっと数学的に描くでしょうけど

      • by Anonymous Coward

        人間原理といわれる分野で、SFでも古典から、よく使われてる。
        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%8E%9F%E7%90%86 [wikipedia.org]

        日本でも、MM9シリーズは、その変化が時代によってあいまいな期間があったり、地域(信じる人の密度によって)原理が変化するという設定。

      • by Anonymous Coward

        (ちょっと読んだのが昔であらすじどころか要素をちゃんと覚えているか不安ですが)
        グレッグ・イーガンの「万物理論」が少し近いですね。
        人間宇宙論、「ヒトが”不明だった”事柄について新たな理論を発見した瞬間、宇宙はその理論に基づくモノになる」というもの……で合ってるだろうか。
        多数決ではないし、一度決まったものがひっくり返されるってシチュは考慮されていなかった気がしますが、まあ類似例ということで。

      • by Anonymous Coward

        物理法則まで巻き込んだ全体主義か。
        なんかヒトラーの生まれ変わりが居世界で云々とかの三流洋画のストーリーが思い浮かんだ。

        対抗する邦画としては、根性が有れば物理法則も覆せる…アカン。
        先例が幾らでも有り過ぎで新味が無いや。

    • by Anonymous Coward

      科学教…?

    • by Anonymous Coward

      理解とは何か、あるいは何をどうしたら理解したことになるのか、を明らかにしないとその考え方は支持できない
      (明らかになったらたぶん余計に支持できなくなるとも思うが)
      はっきり言えば、その(特定の人ならできるという)芸術や宗教の理解と、(多くの人ができるという)科学の理解というのは、
      本当に同じ「理解」なのかどうかがあやしいんだよね
      だから、「多数決で決まる経典が科学である」には欠陥があると思うなあ

    • by Anonymous Coward

      人間の都合で決まらないのが科学だろ何言ってんだ

あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー

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