まず、ロ~マンティックに愛を語るシチュエーションを想定すると、 [私は~]であったり[僕は~~]といった一人称が出てこないと思われる。 発信元と相手が明確である場合には一人称/二人称がでてこないことはままあり、 発言を曖昧に伝えることが大好きな日本人特有の現象ではないかと思います。 例えば[I'm hungry]を直訳すると[私は空腹です]となりますが、 普通は[腹減った]と言い、[I'm]の部分はありませんし、 [I'll give it to you]を日本語で言おうとすると [私はこれをあなたにあげます]ですが[これを君にあげます]→[これ、あげるよ] と縮める方が普段使いの言葉に近くなると思います。
また二人称も[you]に対応する単語がシチュエーションによりけり。 女性→男性方向の言葉であれば[あなた]でも違和感が少ないが、 男性→女性方向で考えると不適切で、[君]の方が適当と思われます。 やや乱暴でも良いのであれば[おまえ]や[あんた]の方が普通っぽいし、 古風にいくなら[そち]であったり? あと、やはり日本語の通常の会話では二人称が出てくる事も少なく、 多くの場合は二人称の扱いで名前を用いるケースがほとんどだと思う。 上記の[I'll give it to you]→[これ、あげるよ]の様に、 日本語では[誰が]と[誰に]をはっきり削除しても意味が通じるし そういう使い方がされている。
それは自然言語なのか? (スコア:2, 興味深い)
この調査は実際に口に出して会話に使用する言葉として調査しているのか?
日本人には「私はあなたを愛します」は自然言語として受け付けられない言葉と感じると思う。
.
.
まず、ロ~マンティックに愛を語るシチュエーションを想定すると、
[私は~]であったり[僕は~~]といった一人称が出てこないと思われる。
発信元と相手が明確である場合には一人称/二人称がでてこないことはままあり、
発言を曖昧に伝えることが大好きな日本人特有の現象ではないかと思います。
例えば[I'm hungry]を直訳すると[私は空腹です]となりますが、
普通は[腹減った]と言い、[I'm]の部分はありませんし、
[I'll give it to you]を日本語で言おうとすると
[私はこれをあなたにあげます]ですが[これを君にあげます]→[これ、あげるよ]
と縮める方が普段使いの言葉に近くなると思います。
また二人称も[you]に対応する単語がシチュエーションによりけり。
女性→男性方向の言葉であれば[あなた]でも違和感が少ないが、
男性→女性方向で考えると不適切で、[君]の方が適当と思われます。
やや乱暴でも良いのであれば[おまえ]や[あんた]の方が普通っぽいし、
古風にいくなら[そち]であったり?
あと、やはり日本語の通常の会話では二人称が出てくる事も少なく、
多くの場合は二人称の扱いで名前を用いるケースがほとんどだと思う。
上記の[I'll give it to you]→[これ、あげるよ]の様に、
日本語では[誰が]と[誰に]をはっきり削除しても意味が通じるし
そういう使い方がされている。
あと、[~~します]という言葉は多くの場合は未来形の扱いなので、
[愛します]だと現時点では愛しておらず、今後愛する状態になるという印象を受ける。
現状を表現するのであれば[愛しています]となり、砕けた言い方なら[愛してる]。
総括すると、[I love you]に対応する日本語としては、
「(○○を)愛してるよ」
が最も通常使用に近い言葉になるのではないでしょうか?
そして勝手な妄想だが、耳元で[愛しているよ]と言ってくれたなら
最下位になるはずがないと思う。
Re:それは自然言語なのか? (スコア:3, おもしろおかしい)
~~~~~~~~~~~~~~~~
propose *mypropose = NULL;
~~~~~~~~~~~~~~~~
mypropose->target = search_pepple_by_tag(WOMEN, "俺の嫁");
mypropose->location = search_loc(GOOGLE, " French Restaurant", 12000);
mypropose->message = IMG2MSG(JA_JP,"愛してる");
~~~~~~~~~~~~~~~~
if(!propose_say(mypropose)) exit(-1);
ちゃんと作らないとすぐセグメ落ちしますし、十分な社会的地位をmallocしておく必要も有ります。
#"愛しています"が砕けた言い方は"失恋"じゃないかな
Re:それは自然言語なのか? (スコア:3, すばらしい洞察)
日本語ってステータスフルな仮想機械の存在を前提としたオペレータ言語なんですよね. それゆえ「好き」と一言発したのが「あなたが好き」なのか「くさやが好き」なのかは, その前段階のシチュエーションに依存するわけで. 逆にいかなるシチュエーションにおいても確実に成り立つ文を形成しようとすると, 既に分かりきっている内容を繰り返すことになり, 核心となる一語に到達する以前に飽きが来ちゃうというのが日本語の特性と言えると思います.
言ってみれば "?", "!" という会話が日常的に成り立ちうるミニマリストのための言語が日本語ってやつで, それ以上を言葉に費やすのは野暮ってことですね.
Re: (スコア:0)
これには、日本語の文法構造(あるいは膠着語全般?)が持つ特徴が大きく寄与しています。
すなわち、日本語の場合、述語以外(いわゆる主語でさえも!)すべて等しく修飾語というオプション扱いなんですね。(異論もあるようですし、便宜上主語を置いた方が都合が良いとする向きもありますが)
話者はそのコンテキストに応じて適宜修飾語をソートしたり省略したりできるし、ネイティブな話者なら普通しないような変な語順でも大した破綻もなく通じる。(例:「あなたを愛している、私は」=「私はあなたを愛している」)
# ただし、うっかり句を構成してしまうとそうはいきませんが…
# (例:「『あなたを愛している私』は」←さらなる述語が後続しそうに感じる)
Re:それは自然言語なのか? (スコア:1)
漱石みたいなのはこの際おいておくとして、"I love you"の日本語への直訳だけでも、ネイティブの日本語話者なら
「愛してるよ」「あなたが好きです」「うちあんたのこと好っきやねん」「お慕い申し上げております」
などとニュアンスが異なる何種類もの表現を思いつきますよね。
これらを英語に訳し分けるためには、話者同士の関係などをつらつらと説明する文章を追加するしかないように思いますが、どうでしょうか。
# 私を含め、日本人が書く英語がやたら舌足らずになりがちなのは、このあたりのことを忘れてしまうせいがあるように思います。
「私はあなたを愛します」のような、絶対に使われない、日本人が見ても明らかにロマンチックでない表現でも一応"I love you"のことだと意味は通じているわけで、逆説的に言えば、そういった表現すらできてしまう言語だ、ということになるのかもしれません。