「十字架で殴り殺されれば天国で幸せになれる」とか言うやつが居てもまぁ可能性はあるかもねとは言える。 でもだからって「皆が天国で幸せになるために全員十字架で殴り殺します」とかいう意見はどうか。 > 「people who say "it cannot be done," are always being interrupted by somebody doing it.」 > (「それはできない」という人は、実行している人に常にさえぎられる) (立場入れ替えで解釈して)そんな殺人鬼が居たら遮るに決まってる。 > 「Those who say it can not be done, should not interrupt those doing it.」 > (それをできないといった人は、実現しようとしている人を邪魔すべきでない) だまって殺人鬼に殺されてろと?
クラークの第1法則 (スコア:1)
A.C.クラークの三法則の1番目に、
というのがありますね。
今回の格言とはちょっと違うけれど、似たような状況から生まれた格言でしょう。
つまり、こういう事は往々にして良くあって、格言もどこかで再発明されてるんじゃないのかな。
ネタ元見つけた! と主張しても、はたしてそれが正しいかは微妙かもしれないね。
Re:クラークの第1法則 (スコア:0)
それ(クラークの三法則)だと実現可能な可能性を示唆するだけだけど、
このストーリーで言及してるやつはそれとはまた違うんだよね。
実現可能な可能性に対してどれだけのリスクを許容できるかの話になってくる。
「十字架で殴り殺されれば天国で幸せになれる」とか言うやつが居てもまぁ可能性はあるかもねとは言える。
でもだからって「皆が天国で幸せになるために全員十字架で殴り殺します」とかいう意見はどうか。
> 「people who say "it cannot be done," are always being interrupted by somebody doing it.」
> (「それはできない」という人は、実行している人に常にさえぎられる)
(立場入れ替えで解釈して)そんな殺人鬼が居たら遮るに決まってる。
> 「Those who say it can not be done, should not interrupt those doing it.」
> (それをできないといった人は、実現しようとしている人を邪魔すべきでない)
だまって殺人鬼に殺されてろと?
実現可能性についてはそれを理論立てて説明し証明を行う事ができるし問題ないけど、
それをすっ飛ばして何かを実行しようとしてそんな事言うのは説明不足の言い訳にすぎない。